少しずつ暖かい季節になってくると食べ物も食べやすく、清涼感のある食べ物を選ぶようになってきますよね。そんな中で麺類というのは大変人気です。
私は麺が大好物でほとんど麺ばかり食べているように思います。その中でお蕎麦は小さい頃からよく食べていてかなり馴染みのあるものなのですが、昔に思っていた疑問が蘇りました。
もりそばとざるそばって何が違うの??
現時点での違いの認識としては海苔、値段。このくらいの違いしか分かりません。
そんんはずはない!もっとちゃんとした理由があるに違いない!だって江戸前なんて言うくらいじゃないか!と思ったのです。
調べて見ました。調べたらちゃんとした歴史と由来があったんです。
今回はそんなもりそばとざるそばの違いや「せいろ」「かけ」とはと言った、かなーり素朴な疑問を解消して見たいと思います。
明日から蕎麦を食べるのが楽しみになる??
目次
もりそばとは?
江戸の蕎麦職人が誕生させたそば切りの新しい食べ方。それは温かいつゆとは異なり濃い汁に冷たい蕎麦をつけて食べる方法でした。
それまでは温かいつゆを使ったかけ蕎麦が主流だったため、器も立派な陶器を使うところが多かったのですが、冷たいそば切りであれば、陶器の器を使う必要がなくなると考え、もっと安価な木製の器に変えることを考えたのです。そして、ネーミングはかけ蕎麦と区別するために、盛るそばで「もりそば」と言う名前が誕生しました。ちなみに蕎麦をつけ汁につけて食べるのを面倒くさがり、直接つゆをかけて食べたのが「ぶっかけそば」です
ざるそばとは?
一方、ざるそばとは江戸中期に「伊勢屋」という飲食店が、もりそばとの差別化のために竹ざるに盛りつけて提供したことから「ざるそば」が始まったそうです。
「ざるそば」は当時は高価であった「みりん」をつけ汁に加えたり、そばの実の中心部分を使うなどして、「高級なそば」という位置づけになりました。
その後に「もりそば」と簡単に区別できるよう、「ざるそば」には海苔をかけて出すようになったと言われています。
ざるそばもまた、庶民に人気のもりそばと区別して新しい種類を誕生させた企業努力だったのです。
現代のもりそばとざるそばの違い
現代、もりそばとざるそばの違いは器の違いによる所になっています。もう一つは海苔の有無ですね。
お店によて提供の仕方はさまざですが、せいろだけでで営業している店や竹ざるのみで営業している店もあります。海苔だけがその分かれ目になってしまっているという場合もありますね。
味の部分では現代ではどちらも同じですが、強いて言うなら「十割」(とわり)と「二八」(にはち)がありますが、これはもりそばとざるそばの違いとは異なります。
もりかざるか。提供方法の違いによるところになります。
せいろそばとは?
江戸時代当時は蕎麦を蒸篭(せいろ)で蒸す調理法があり、そいろに乗せた蒸し蕎麦を提供していました。
現在はその調理法はありませんが、その時に利用した蒸篭をもりそばの器として使用するようになったのです。蒸篭だけが残った理由としては少量の蕎麦でも底上げされ量が多く見えると言う当時の企業努力なのです。そのため今でもせいろ蕎麦と言う名前が残っているのです。
本来のせいろそばは蒸したそばのことで熱いつけ汁につけて食べたと言われています。しかし、蒸してしまうため今ほどコシのない蕎麦なので、そばの醍醐味のコシを愉しむことはできなかたようです。
せいろ蕎麦とは蒸篭に盛られた冷たいお蕎麦のことです!
そばの歴史
本題に入る前にそばの歴史から説明させてください。ちょっと関連してくるものですから。。。
昔はそば屋に入ると、そば粉をお湯でこねて餅状にした「そばがき」や「そばもち」を食べていたそうです。このそば粉を練った食べ物こそが最初の「蕎麦」なんです。
そばはみなさんが知っている「麺」ではなかったんです。なので蕎麦を麺類とするかと言うと過去には麺類ではなかったと言う歴史があります。
江戸中期ごろから蕎麦をつるつると食べやすく細く切ったものが登場しました。それは当時「そば切り」と呼ばれていました。これが江戸時代の職人さんや江戸っ子に大人気となり、飛ぶように売れたそうです。ただ、当初は具材が入っていない「そば切り」に熱いつゆをかけただけの「かけ蕎麦」が主流でした。その後当時の蕎麦屋が工夫をして誕生させたのが、そば切りを冷たい汁につけて食べるスタイルだったのです。
また、江戸時代には、そば粉に“つなぎ”としての小麦粉を混ぜるそばの製法が誕生しましたそば粉のみのそばは「十割」(とわり)、小麦粉2に対してそば粉8の比率のそばは「二八」(にはち)そばと言います。
蕎麦屋の始まり
蕎麦屋が誕生したのは同じく江戸時代で江戸の麻布永坂町で暮らしをしていた信州の行商人、清右衛門が「信州更科蕎麦処」を開店させた。これが有名な更科の始まりです。
同じ頃、江戸の雑司ヶ谷鬼子母神門前や本郷団子坂では「藪そば」が誕生した。
更科そばや藪そばをの誕生以来、江戸中にそば屋が広がっていき、1860(万延元)年には江戸府内のそば屋は3763店あったそうです。
そばは縁起物へ
大晦日に食べる「年越しそば」の習慣が定着したのは江戸時代中期と言われています。
もともと、金銀細工師が、飛び散った金粉・銀粉を、そば粉を使って集めていたことから、縁起をかついで掛け金の回収前にそばを食べるようになったことから、そのげんかつぎが晦日や大晦日にそばを食べるという習慣として広まったという説があるそうです。
また、引っ越しの挨拶に「そばに参りました」の意味を込めてそばを贈る「引っ越し蕎麦」の習慣も江戸時代にはじ股とされています。長くなりましたが、そばの歴史は団子状の食べ物から麺状に変化し、温かいかけ蕎麦として広まっていきました。
蕎麦を自分で打ってみよう!
近年、蕎麦打ち体験が人気です。なかなか家でやれることの少ないそば打ちですが、興味があればぜひ体験してみてはいかがでしょうか?
自分で作ったお蕎麦は格別だと思います。
ご自宅で挑戦する事もできますよ!そば打ちセットを準備しましょう!
まとめ
いかがでしたでしょうか?もりそばとざるそばの違いは現代はほとんど海苔の有無になっていますが、それぞれの歴史があったのですね。
- もりそばとざるそばの違いは現代では主に海苔の有無など提供方法の違いになっている。
- せいろそばとは蒸篭に盛ったそばのことを言います。
- かけそばとはそば切り(そば)に温かいつゆをかけたもの
レッツエンジョイ・お蕎麦!!